ぐらたんのごった煮ブログ

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ホラーが好きな人・苦手な人の心理の違い

こんにちは。ぐらたんです。

みなさんは、ホラーって好きですか?

ホラーを好きな人と苦手な人。両者にはものすごく深い溝があるように思えます。

ベタな例だと、お化け屋敷に入ろうとする彼氏と、断固拒否する彼女など(この例では彼氏側が単にホラーが好きという理由ではない場合が多いですが)。ホラー映画でも、好きな人は喜んで観に行きますが、苦手な人はうっかり予告を見てしまっただけで怖がりますね。

自分の考えを主張し合う・押し付け合うだけではなく、相手の考えていることを理解すること。そうすることで、価値観の違う人間同士の溝を埋める一歩が踏み出せるのではないでしょうか。

本記事では、ホラーが苦手な人にホラーを勧める話ではなく、両者の考え方の違いを比較する考察です。ちなみに、私は苦手派です(笑)

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ホラーのタイプと共通点

人間が恐怖を感じる対象は、さまざまです。以下のようなパターンが考えられます。

①モンスターや幽霊といった人間以外の存在が襲ってくる

②自分の知っている人が襲ってくる

③異常な人間・狂人(知り合いではない)が襲ってくる

④未知のウイルスなどの生物が襲ってくる

 

共通するのは、「強制的に主人公の日常を壊してくる」点です。人間というものは、生存本能が脅かされるときに、強い恐怖を感じるのですね。ホラーは、その恐怖をエンターテインメントとして昇華させています。そして、恐怖をあおるために「血が出る」「急に大きい音が出る」などの演出、逆に不安感をあおるために「暗闇で無音」などの演出がされます。

 

ホラーが好きな人の心理

適度に刺激がほしい、ドキドキしたい

日常生活の中では、幸いなことにゾンビに襲われるような、大きな恐怖を感じることはほぼ起こりません。しかし、ホラーを観ることで、自分は実際に経験しなくても(=自分の安全が確保された状態で)大きな刺激を得ることができます。息をのんだり、冷や汗をかいたり、心拍数が上昇するような心身の変化も表れますね。

2007年に発表された“ネガティブな感情の消費”という論文では、人間の脳は快感も不快感も区別することなく同時に活性化しているとしています。

つまり、ホラーを観たときの人間の脳は活性化しているのですが、恐怖と同時に快感も覚えているのです。その「恐怖」と「快感」を感じる程度の違いにより、ホラーに対する好みが分かれます。

ホラー好きな人は、「フィクション」と「現実」を区別できるため、過剰な恐怖を感じることなくホラーを楽しむことができる人だと言えます。ジェットコースターが好きな心理と似ていますね。

参照:東京大学教授・脳科学者 池谷裕二氏が語る“ホラー”がエンターテイメントたり得る理由

 

緊張からの解放による達成感を味わいたい

大きい音とともに敵が現れる、誰かが刺されて血が出る、…かもしれないという不安感。ホラーを観ている間は、緊張の連続です。しかし、お化け屋敷を出た後は、どうなるでしょうか?一歩外に出てしまえば、友達と「怖かった~!」なんて言いながら、笑いあうことがありますね。これは、強い緊張から解放されたことで達成感や開放感を得たことに起因します。そして、達成感や開放感といった「快」の感情を、人は記憶します。

ホラー好きの人は、ホラーを観終わった後の感覚を覚えているからこそ、ホラーそのものを「快」と捉えるようになります。

 

ホラーが苦手な人の心理

恐怖というネガティブな感情を避けたい

ホラーが苦手な人は、「フィクション」とわかっていても、実際に自分が経験しているような錯覚に陥り、強い恐怖を感じます。血が出ているシーンを見れば、自分が血を流したような気分にさえなります。

ホラーが終わった後の開放感なんて、観ている最中の恐怖に比べれば小さなもの。むしろ、その日の夜にシャンプーをすることすら怖くなってしまうなど、日常生活にも差し支えてしまいそう。そう考えているため、ホラーを体験する必要性をそもそも感じていません。

ホラーが苦手な人は、ネガティブな感情をもつ経験よりも、ポジティブな感情をもつ経験がしたいと考えます。言い換えれば、ホラーの優先順位が低いとも言えます。「不快」を避けたいのは、人間にとっての本能ですね。

 

まとめ

ホラーが好きな人と苦手な人の違いは、ホラーに触れたとき・ホラーが終わったときに感じる「快」と「不快」の感情の程度の差によると考えられます。「快」の感情が大きい人はホラーを好むようになり、「不快」の感情が大きい人はホラーを避けようとします。

この差は、物事に対する捉え方の違いなので、どちらが正しいということはありません。ただ、「物事への反応・解釈には個人によって差がある」と知ることで、お互いに対して少しだけ理解が深まる気がします。無理強いは禁物ですね。